今夜、メランコリックにつき。

アラサーのアンニュイな日常。

晴れた日の七夕は。



「今夜は晴れそうでよかったね」

と、もう何年前か記憶にない程前の七夕の日に、キッチンに立つ母が呟いた事があった。
私は、その横でタバコを吸いながら「なんで?」と尋ねた。
そしたら、母は作業をしながら「だって七夕やん」って柔らかな声で答えた。

その母の返事は、私にとってとても意外で、耳を疑うものやった。
だって私にとって母とは、厳しくて、私を縛って、抑えつけて、苦しいぐらいに正しくて、私の逃げ道を全て潰していくような存在で。
そのくせ、私が発する助けて!も、愛して!も、認めて!も受け入れてくれないような冷たさを感じる人に感じていたから。

私が激しいうつ病を患い、なんとかカウンセリングを受けた時
「お母さんとの関係性があなたにとって大きな問題」
だといわれ、それをそのまま母に伝えて、母が泣き叫んだ事があった。
その姿を見て、

あぁ。私はなんてひどい事を言ってしまったんやろうか。

と、罪悪感を覚えた。
目の前で過呼吸になり泣き叫ぶ母から、親不孝者の言葉がにじみ出ている気がしてたまらなかった。
その時、親子という関係の線の束がブチブチブチと音をたてて千切れていっているようで、残りたった数本だけが、なんとか残って私たち親子を繋げているように見えた。
それぐらいに、私と母は追い込まれて、心の行き場を失って、対処も見えずにいた。

それから何年も経って、母と娘、ぶつかり合って、精神の殴り合いをして、責めあって、紡ぎあって、認めあおうと必死に踏ん張って、時に無関心を装って、なんとかプラマイゼロの関係性まで回復できたような気がした。
かろうじて、日常の会話に笑顔があって、笑い声があって、冗談があって、周囲からは仲のいい親子に見られる程度にはなった。
その時の七夕やったなぁ。
だいたい雨や曇りが多い七夕の日。
その年は珍しく晴れの七夕で、実は私はそんな事は微塵も頭になく、この日が七夕ということすら覚えていなかったけれど、そんな私に向かってキッチンに立つ母が言った。

「今夜は晴れそうでよかったね」

だって七夕やからと。

あれ?お母さんってそんな事を言う人やったんや。

と、その瞬間から母に対する見方ががらりと変わった。
お母さんさんも、七夕の日は晴れたら彦星さんと織姫さんが会えるなぁとか思うんやなぁと知って、一気に母は私のお母さんなんかもと思えた。
だって、私の中の母は、七夕なんか「ふーん」で終わらせそうやったから。
一気に音を立てて、母という人の見方が崩れた。
今思うと、私が母を一人の人として認識した瞬間のように思えた。

今年の七夕は晴れた。
嬉しくて、思わず、母にメールを送った。
「晴れたね!」
って。
そしたら「よかったね。嬉しいね!」って帰ってきた。
やっぱり、この人は私のお母さんなんやなって、たまらなく愛しくなった。
だってこんなにロマンチストでおちゃめなんやもん。
そう思うと、急に会いたくなって、声が聴きたくなった。

どうか、いつまでも健康で。
笑顔溢れる楽しい人生を過ごしてください。
お母さんの人生を、お母さんのペースで。


おわり