今夜、メランコリックにつき。

アラサーのアンニュイな日常。

「結婚むいてないよ」とかいう余計なアドバイス。

どうも。私です。
えっと、ゆきです。

先日、パートナーと話している時に、こんな会話が出たんよ。
「(親しい友人に)俺は結婚に向いてない。一人がいいよって言われた」
みたいな。
親しい友人やからこそのアドバイスなのかしらー?
彼のパートナーやから言われて腹立ったとか、そういうのはないねんけど
(いや、わりと腹立ったねんけど)
この手の勝手なアドバイスってわりとあるやん?
例えば

・結婚むいてへん
・離婚したらえぇねん~
・一人が性にあってんやってー

みたいな。
人生を共に過ごすわけでも、共に暮らしをしたわけでもないのに
たった氷山の一角でしかない悩み相談だけで、ここまで決めつける事の怖さっていうのかなー。

例えばやけど、占い師という仕事柄、離婚の相談はいっぱい聞いて来たけど
だいたい答えは自分の中に持ってて背中を押してほしいパターンか
客観的な意見を聞いたうえで考えをまとめて答えを出したいパターンとかあって
離婚の場合も恋愛の場合も、足掻きたくて頼ってきてくれる場合が多い気がするねんな。
だって、離婚するって100%自分の中で決まってるなら、それに進むやん。
でも、1%でも躊躇う理由があって、実はその1%がとんでもない大きい愛情やったり、改善させてみたいという思いやったりするわけやねんな。
その1%を私が深堀りで見つける事ができて、その1%に勝負をかける術や何かを見出せたら、その人は『踏ん張ってみよう』に意識が変わったりするんよね。

もちろん色んなパターンがあるし、DVやいろんなハラスメントで
命を優先して!!って場合ももちろんあるねんけど。
それでも「離婚したらえぇやん」「これは離婚やね!」なんて私は親しい友人にも安易に言えんよ。
ましてや「一人が向いてる」「結婚に不向きやろ」とか、どの立場で言うんって感じよ。
100歩譲って、元嫁・旦那とか同棲してた元恋人がいうならまだしも。
恋人の顔・夫婦の顔・生活力・経済力、全部表面しか知らんのに
なんでそんな無責任を言えるんやろうって思うんやけど
それはめっちゃ簡単で、赤の他人やし、一生独身やろうが離婚しようが、言った本人の人生に関係ないからねぇ。それに尽きるねん。
言った本人は、何気なく発した言葉で、言われた悩んでる本人はそれを真に受けて一生独身選んでみ?
その言った本人は、あれよあれよという間に好きな人できて、結婚して、一軒家買って、子供出来て、挙句の果てには「おまえなんで結婚せんの?」「女紹介したろか?」とかになるケースもあるあるやで。
それぐらい、重みのない言葉よ。


ちなみに、私のパートナーは、屈強とかワイルド的な意味での男らしさの欠片はないけど
でも、めちゃめちゃ結婚向きやと思うねん。
起きたらベッドメイクして仕事行くし、
家事は率先して手伝ってくれるし、仕事が休みの前日とか私が疲れてる時は、食器洗いとかも嫌な顔一つせずしてくれるし
ご飯は何作っても美味しい美味しいって食べてくれるし
作ったご飯写真撮ってインスタに嫁のご飯記録作ってたし
休みの日は、私や娘が行きたいところ連れてってくれるし
エッチも大好きみたいやし。
まだまだいいとこいっぱい。
そんな彼が結婚に不向き?一人がいいと思う?いやー笑ってまうて。
どこからの評価やねんって。
むしろ、彼の良さが発揮されるのは、結婚生活なんやないかなって恋人を経て嫁となった身としては感じてるけど。
やからな、「結婚むいてへん」とか「独身がえぇよ」とかの言葉は
みんな耳塞いだらえぇと思う。
いや、相手の口を塞ぐか。
聞き流すでもえぇねんけど。

夫婦として相性がいい悪いもあると思うし
いつも喧嘩ばっかりでも、話し合いをするごとに信頼関係を築くタイプのおるやろし
恋人のような夫婦でいることでぎゅっと繋がれる夫婦もいたら
子どもがいてパパ・ママでいる事でより一層強まる夫婦もいて。
仮にギャンブル好きの風俗王で借金抱えて離婚突き付けられた、いわゆるクズ男でも
再婚相手には、嘘みたいに心入れ替えて、いい旦那さんになるかもしれんし。

私だって、同じく。
前の旦那にはヤフー知恵袋にないことないことボロカスに書かれるぐらいの
恐妻?悪妻?鬼嫁?そんな感じのえげつない大悪魔な女やったらしくて
むこうの家族ともお義母さんとも仲悪くて、ドラマのような嫁姑問題おこしてたけど
パートナーがかわればどうでしょう。
もしかして恐妻?悪妻?鬼嫁?と思われてるかもしれんけど
でも、お義母さんとの関係はとても良好で、めっちゃ好き。
むしろお義母さんが結婚の決め手になったまである。
「ゆきは結婚むいてないわー」「絶対死ぬまで独身やてー」とか言われる事多いけど
それは私が決めるからねー。
いやー、わりと料理も好きやし、家計簿とかもまめにつけるし、適当さはあるけど、なんとなく家も掃除するし、セックスも積極的かつ好奇心旺盛やし、何より育児面では唯一無二の母親やなーって評価してるけど。笑
世間からみると、問題大有りの地雷抱えまくりの女なんかもしれん。
それでも、うちもパートナーが「えぇねん」って言ってくれたら、全く問題なしよ◎


離婚も、結婚するも、一生独身も、全部自分で決めたらえぇし
親しい友人や周囲の人が言ったからって、それってほんまあてにならんし。
それほど無責任なアドバイスってないと思うから、
「ほえー」
って流してたらえぇと思うねんな。
真に受けて、それを人生に活かそうとせんといて欲しいな。
そんなアドバイスに耳傾ける余裕あるなら、
人生を一緒に歩む人と、一秒でも長く話し合いをした方がよっぽどえぇ日々になる。


と思った、私でした。



おわり

推しがいるハッピーさが羨ましく思えた話し。

どうも、私です。

先日ね、かなり年季の入ったジャニオタの先輩と遊んだんよね。
その先輩とは、もう10年程の仲で、知り合った時からのジャニオタ。
知り合ってたいして仲良くない時から、ジャニーズ全般・推しの話を聞かされてた。
もうごっりごりのジャニーズトーク
会えばスマホで写真や動画を見せてくる。
家に行けば強制ライブ映像鑑賞。
ただただひたすらに推しやジャニーズについて話を聞かされたんよねー
まー、先輩が楽しそうやし、私も歌えて踊れるイケメンは好きですし
なんつっても、私はSMAPの森君が人生最初の推しでしたから。
もうこれはジャニーズ仲間といってもいいかなと。

そんな私は、森君は別格としてね~
これといって現在推せるー!!!となってる事もなく。
好きなアーティスト・好きな芸人さん、めちゃくちゃタイプの芸能人とかはいるけどね。
グッズ買ったりとか、ライブツアー巡ったりとか、振り付け覚えたりとかなくて。
できれば一回ぐらい抱かれたいなーという欲望をもつぐらいかなー!笑
先輩のように、いつもいつもその話題になると目を輝かせて、
気持ちがたかぶって、なんならその時は肌もつやつやしてるようにも見えるぐらい
心をときめかせて、掴まれることに喜びを感じれてるっていいなぁとふと思ったねんな。

Twitterでも推しを色んな形で愛でる人たちを眺めていて
あー幸せそう!楽しそう!よかったー!!
なんて勝手に思ってたりする。
推しについて語っていたりするツイートからは、きらきらがあふれてるわ~。

先輩の話を聞いてると、ツアー巡って、FCも色んなの入って、グッズも好きなメンバー分を買って、それ聞いてるだけで、私の頭の中では銭が消える音がするねんよ。笑
でも、そこに対して不満を漏らしてる先輩を一度も聞いたことがなくて
むしろ、そこにお金が必要な事に喜びさえ感じてるというか
働く原動力になってて、ちょっとやそっとの無理もサラッとしてしまえるぐらいに
推したちがパワーになっている事が、心から「ほー!!」となるものがあった。
いや、もう、それ彼氏やなって思ったんよ。
推しに会うために、お洒落も頑張るし、ダイエットも頑張るし、
仕事とかめちゃめちゃ成果出すし、しっかり稼ぐし。
あと、話してて面白いなって感じたのは、推しが得てる知識であったり疲労した知識を習得してたり、それ以上深堀って知識をつけてたりするから
意外な話題に富んでたり、なんでそんなん知ってんのって事を知ってたり。
楽しい。
何より、推しについて話している時の幸せそうな表情やポジティブな雰囲気は
どの男との恋愛の話をしている時よりも、ハッピーにあふれている。笑
それも悪くないんやなかろうか……なんて、先輩を見てて感じてるねんな。

そうして、先輩と会うたび、色々と見せられ、聞かされ、語られて
もう、むしろ、ジャニーズを見るために先輩の家に行ってるといっても過言やない感じ。
気づけば名前と顔が一致してきて、色んなグループ名も覚えてきた。
なんなら夢にまで出てきた。
気づけば動画を見ている自分がいた。
口ずさんでる自分がいた。

覚醒の訪れも近いのかもしれない……



おわり。

男運の悪さについて、ただぼんやりつづるだけ。

こんにちは。

最近恋愛の相談をのっていて
自分の過去の恋愛なんかを思い出していた。
私はよく、周囲から「男運悪いねー」なんて言われる事が多かったねんけど
私の中では「あーへたこいたー!」ってのは一人しか思い浮かばへんねんな。
なので確かにそういうパターンもあったけど
それは私にとってそうだっただけで、相手がその後付き合ったりした女性には
恐らく誠実でいい男としていてるんだろ~な~なんて思ったりした。
要するに、私がその男性を活かせなかっただけの話なんじゃないかと思う。
だから私は全く男運が悪いなんて思ってもない。

高校生の頃、すごく私を好いてくれている男の子がいて
付き合ったけど、私は「目が死んだ魚みたい」という理由でふったことがあった。
でも、すごく好いてくれてたから、変わらず一緒にいたいと言ってくれた。
私としては別れたくて、色んな理由を探して別れたいと言った。
そのうち、そんな自分に嫌気がさして「私最悪やん。悪い事してるし傷つけてる、ごめんなさい」と言った。地元のゲームセンターの駐車場で。
そしたら、その子が嗚咽を漏らしながら
「俺ら恋人やんけ。もっと本音で向かい合ってくれや。迷惑かけてこいや。
 最悪でもなんでもないやんけ。そう思えたならおまええぇやつやん」
って言った。
その男気に当時感動してね、熱いなーこの子と思った。そして別れたんやけどね。
その男の子も、のらりくらり、女の子たちをいじって茶化すタイプやけど
その時の私に対しては泣いて、そうやって言ってくるんやなぁ~と
真面目に好きになったら、どんな女たらしでも本命には誠実なんよなぁと感じた。
その後、その男の子はどうなったかっていうと
私の次に付き合った年上の女性と結婚してね、「おまえ、アナルめっちゃきもちえぇぞ!」と話してくれた。二児の父。
良い男やなぁと当時から思ってはいたものの、さらにいい男を発揮していた。
そんないい男を選ばないところが
私が男運が悪いと言われてきた要因やなーと自分なりのアンサー。

だから男運が悪いってのは、女の手腕ってのも大きいよなぁと感じたりする。
以前ずっと相談にのってた子は、ヤンキーが抜けない女の子で、ヤンキーが好きでね
気づいたら中学同級生の一番のヤンキー男子と結婚して子供もいてて。
その子も、まぁ、男運がないと有名で、自分でも男運のなさを嘆いてた。
いわゆる、悲劇のヒロインタイプ。
だから、漏れなく結婚後も旦那さんとなったヤンキー君のダメさと、自分の恋愛運のなさ、不幸さを嘆いてた。
そして見下すんよね。馬鹿にするというか。いつも、付き合った男の子を。
それはよくないなーと当時感じてて、でも、それがその女の子の恋愛スタイルならとやかくいう事じゃないし。
そりゃぁ、自分の事を見下して馬鹿にする女と一緒にいたって幸せじゃないもん。
逃げるに決まってるやんねー。


タロットで色んな愛のカタチやら恋の沙汰を聞いて、深く掘り下げていく
不倫も、片思いも、失恋も、倦怠期も、セックスレスも。
いいセックスして、一緒に美味しい物食べて、ぐっすり眠ってさえしてれば、平和に過ぎてきそうやけど、そうもいかないのが人間同士で。
なにがしたくてそんなに荒波たてようとしたり、疑ったり試したりするのか。

男運が悪い!と嘆くその対象の男も、別の女にはめちゃくちゃ真剣で、
愛情もって宝物を扱うかのように大切にセックスとかしてるかもしれないし
必死で向かい合ってるかもしれない。家事とかめっちゃしてるかもしれない。
その男の人の、スイッチをうまく押せる女のヒトなのかもしれんし
ただ、相性とかフィーリングみたいなものが、スバ抜けてよかったのかもしれんし。
他の女にとっては、その男は最高の男の可能性も大いにあるわけよ。
もちろん、女も男の人によっていくらでも変われると思う。
メイクも、料理もセックスも、男の人のたった一言でめちゃめちゃ上達したりするし
それも男の人のスキルかもしれへんなー。

好きな男の最高の女になるために
好きな男を最高の男にするために
そんな名目のありとあらゆる指南本が腐るほど売られててね。
一筋縄でも、本通りにもいかんのが、人間なわけやし。
惚れさせることと、誠意もって向かい合ってくれる事とはまた違うしね。
最高の男も女もひとそれぞれ最高の中身は異なるし。
男運悪いなーって言われても、自分にとっていい彼氏・パートナーなら
それ以上の事ってないやんって思うけど。
自分でもし男運(女運)の悪さを感じてるなら、その原因は男(女)じゃなく自分やわ。

みんなそれぞれ、恋愛がうまくいくといいねー。
うまくいくと思うけどねー私は。



昔の自分を癒すこと。

こんにちは。
今回は、写真整理を兼ねてフォトアルバムを作りを通じて気づいたこと、
幼少期の願望を大人になって満たす事の複雑さを感じた事です。

私は写真が撮る事が大好きで、携帯のカメラはもちろん、一眼レフを持って散歩をしたり、被写体をお願いしてポートレート撮影をする事も楽しい。
基本的にはわが子、愛鳥、作った料理、食べた物の記録の日常がほとんどで、似たような写真を何枚も撮って整理に困る事はよくある。
でも整理しない事には溜る一方やからね、一年のフォトアルバムを、上半期下半期に分けて作るようにしている。
言うてもほとんどわが子の成長記録なんやけどね。
そんな話を以前から夫君に話していたし、これまでのアルバムを実際見てもいた。
そして「いいなぁ」「いいお母さんじゃーん」と言うてくれるので、私もまんざらでもなかった。笑

つい先日も数日かけて去年のフォトアルバムを作っていた。
去年といえば、私が夫君と結婚をした年で、一緒に暮らした年でもあった。
ここ二年ほどのアルバムには、ちょいちょい彼氏である夫君も映る写真を選んで載せていた。
でも、これはわが子の成長記録なので、わが子と一緒に写っている写真に限っていた。
膨大にある娘の写真を眺めていると、それは本当に日常的で
寝起きや、すねたり、泣いたり、怒ったり、ゲリラ豪雨に偶然あってしまいびしょ濡れになった瞬間や、大好物を頬張る表情や、「ママ見て!!!」と披露した体を張った一発ギャグとか、すごいしょうもない事とか。
子どもの成長記録の写真なんてそんなものやろうと、何も気に留めることなく
ただわが子への愛情をダダ洩れにさせていた。
そんな調子で写真厳選をしていた時、去年の結婚後、家族で出かけた先の写真は、子供のような行動をとっている夫君の写真が多くあった。
だだっ広い公園の遊具を真顔で占領したり、それをわが子が冷めた目で見ていたり
大きなアスレチックの子供向け滑り台を満面の笑みで滑り降りてきたり
河原で石をひたすら積んだり……していた。
それは、彼の『無邪気さ』という特性がそうさせているのかと思っていたけど
こうして写真を見返すと、どうも違うな?と思い始めた。
彼のとる行動は、子供と一緒やな~という印象を強く受けた。
この子どもというのは、お母さんが見守っている安心できる環境で遊ぶ年頃…んー、だいたい2.3歳ぐらいをさしているのだけど、
だいたい自我が芽生えて歩き出せて、自分でしたい事をしだす年齢かな。
その時の状況と、彼のとっている行動は、とてもよく似てるなぁと感じて、それを考えていた。
何故なのか。
何故、いい年の大人の男が、こんなに幼稚なのかと。
それは、つまり、幼稚な年齢の頃に、こうして満足にいくまで遊べていなかったのではないか?と思った。
それは、きっと、母親の独占ができなかった事なのかもしれないし
両親に遊んでいる自分を見てもらって褒めてもらうという願望が満たされてなかったのかもしれない。
もしかしてずっと一人遊びをして育ってきたけど、実は両親にいてほしかったのかもしれない。
全て私の勝手な想像やけどね!
でも、写真に写る彼は、私という強い信頼関係がある人間に見守られ、安心して行動をうつせ、その行動を非難されるわけでなく、見逃されるわけでなく、しっかりと見守ってもらっている事で、欲を満たしているような気がした。
私がカメラを向け実際にその画像があるのだから、見逃してもないどころか、がっつり見ている状態ですもんね。

私は、自分の昔の傷を癒す時、特に幼少期の自分の傷を見つけて対峙・癒す時
頭の中に当時の自分に話しかけるようにしている。
「大丈夫よ。私生きてるし、今楽しいし。その時は確かにめちゃくちゃ辛かったし嫌な思いしたね。我慢して偉かったね。でも、もう大丈夫。あなた(幼少期の自分)のおかげで私は強くなったよ~ほら~」
みたいにね、話しかけて、その時の嫌な思いや辛かったことをとことん見つめて、分解して、一つ一つ「だいじょうぶ!」って言ってくようにしている。
例えば、私は幼少期、母と父が夜に仕事で、祖父たちと食事をする時、家族と離れた所に座らせられてたりしたねんけど、それもね、頭の中で当時の自分に会いに行って、隣に座って一緒に食べる。
なんなら、好物めっちゃ差し入れとかする。脳内差し入れ。笑
そんで「もう一人じゃないし、私がいるし、問題ないね」「ちゃんとお母さんには私がチクっててあげるから」「私がじーさんに中指たててあげるから」「その代わり、田舎のじーちゃんの真横は、何年経ってもあなたの特等席やからね。やったね!」って。笑
その時抱えてた寂しさや、嫌と感じた状況はもう変わらないから、だからずっと抱えていく事になるやん。もし、それが和らぐことで、当時の私が少しでも報われて、今の私の心が軽くなって、ちょっとでも生きやすくなるなら、それに越したことはないと思ってる。

自分の傷は、結局自分で癒すしか方法がないもの。
自分以外はその傷の深さも、苦しみの深さも、抱えている深さも表面しか理解してあげられない。彼の抱えているものも、私には同じくで、表面しか理解ができない。
そういうものだと思っている。
話をして、気付きを得たり、すっきりしたり、泣いたり、落ち着いたり。
そこから次のステップ…、例えば整理をしたり、分析したり、自分と向き合ったり、認めたり、許したり…それに進むのは、必ず自分自身でないとあかんのよ。
本当の意味で、抱えているものを癒せるのは、自分だけで
誰かが殻をむりやりこじ開けてくれるのを待ってるのは、残念ながら、期待はしない方がいい。解決にはならないから。
でも、嬉しい事に殻の外からノックをしてくれる人はいるからね。何度も何度でも。
それが例え火の中でも、嵐の中でも、悲しみの中でも。
でもその人たちも、状況が変わったり時が過ぎればノックをしなくなる。
みんな自分のことがあるし、ノックをしてる人だって何かを抱えているし、他にも優先すべきことがあるから。
いつまでもかまってられんからね。
だからこそ、あらゆる状況でもノックをしてくれている人達は、大切にしないと!と強く想うし、ノックしてくれたら応答したいと思う。



アルバムに、子供のように遊ぶ彼の写真をたくさん選んだ。
それを見て、嬉しい?恥ずかしい?それとも、やめろよー!ってなる?
彼は「嬉しい」って答えた。
つまり、少し満たされたんやね。心が。
じゃぁ幼少期の僕に言ってあげて。嬉しかった事。それによって今の自分の心が喜んだこと……。



話はすごく変わるけれど
このね、幼少期の頃にすごく求めていた事・満たされなかった事って、セックスで少しだけ満たすことができると思ってるのよ。私。
全部が全部ではないけれど、セックスの性嗜好って、元をたどれば、その頃の不満や我慢、手に入らなかった事、衝撃的やった事みたいにとっても強く感情が揺さぶられた出来事が元になっていると思ってるんよね。
それもあって、今回の彼の行動には納得がいったし、性嗜好と繋がった!!!!と思ったよ~\(^o^)/



さ、寝ようかな。
最近は私の日常も満たされている。
色々自分の中で踏ん切りがつけれた感じがする。
ここまで、よく頑張ったと思う。
褒美に、大好物のスイカをお腹いっぱい食べようと思う。
そんな妄想をしつつ、寝るとする。
おやすみなさい。良い夢を。



終わり。

不思議な夢と体験のおはなし。

伏見稲荷 photo by おかめ


日本最古を思わせるような、力強い雰囲気の朱色の鳥居。
参道には道はなく、かわりに鳥居の下には鳥居より少し幅の広い川があった。
川の底は見えず、深さは見当もつかないし、流れは目を疑うぐらいに緩やかだ。
川の両側には川に沿って低木がびっしりと並び、鎮守の森のように木々が続く。
そのおかげで、鳥居の奥は不気味さも感じる暗闇が続き、木漏れ日すら届いていない。
こんなにも木々に覆われ、穏やかな川が流れるにも関わらず、そこには命の気配がない。ただ、深い緑と鳥居の朱色、それらを映す川のみが在った。

その景色のなかにいたのは、私と、約20年前に他界した祖母。
祖母が見せるいつもの優しい笑顔と、あたたかな声で言う「おいで」に、私は躊躇いもせず川に足を踏み入れる。特に冷たくも温かくもなく、身に着けていた服を気にすることもなく、どっぷりと肩まで身体を沈める。
やや朱色が剥げた鳥居の下で、その奥をじっと目を凝らす。
いったい何を祀っている神社なのだろう?どこに本殿があるのだろう?と疑問に感じながら、暗闇の向こうを見つめた。
川には蔓や葉が揺られ、私と祖母以外にも人々がいる事に気が付いた。
怖がるわけでも、不思議そうにするわけでもなく、誰もが穏やかな雰囲気で、まるでリラックスしながら浮いている。
なかには水着と浮き輪で楽しそうに泳いでいるおかっぱの女の子、幼少期の私のような子もいた。
とても幸せそうに、家族に手を伸ばしていた。
それを見て、この川の奥は恐ろしい場所に続くのではないのだと感じた。
よく見れば、川の流れに揺れる蔓には小さな花が咲いている。
よく見れば、その川で泳ぐ人々は、私や祖母を含め、ただ幸せを放っている。
朱色の鳥居をくぐろうとした時、川を覆う木々たちを割くように、黄金の菩薩像が空を舞った。
それを私は、目を丸くして眺めていた。
あまりに巨大で、あまりに美しくて。
それからすぐに川にいる人々が流れに漂い始めた。というより、川に流れが生まれた。
それまで蔓や葉を揺らす程度の流れしかなかった川は、瞬く間に人々を運ぶ強さをもった流れに変わり、私も祖母も周囲の人々もそれに身を委ね、鳥居の奥の暗闇へと運ばれていった。

鳥居の奥はあれだけ真っ暗だったのに、流れのまま目に映る景色はとても美しい空だった。
夕焼けか、朝焼けか。たぶん、朝焼け。
淡い紫に紺色に水色に橙色にピンク色……と、繊細なグラデーションが空に広がり、綿あめを引き伸ばしたような、ふんわりとした薄く白い雲が浮かぶ。
それは、病室の窓から祖母と最後に眺めた空と重なった。
温泉に浸かっているみたいに身体を川に預け、柔らかな色彩の空を見上げながら、愛しい祖母と過ごすその時間は最高に幸せという言葉以外見当たらない。
あの時、病室で眺めた空ほど美しい空の色を私は知らない。
その次に美しかった空は、父が亡くなって骨となった日の雨上がりの夕暮れ。
あんな悲しみ、こんな苦しみ、ため込んだ怒り、誰かを思い吞み込み続けた言葉、自分の奥底から湧き出る凄まじい負の感情と、それに支配される自分自身……そしてその全てから解放されたい、消えてしまいたいと願った事。それらも全部許せるぐらいに、私にとってその時間は幸せに満ちていた。
川はやがて、近代的な建築の駅に私を運ぶ。
さっきまでの不気味な暗闇に覆われた森も、そこにある鳥居も、参道となった川も、巨大な黄金の仏様の像も、何一つとして疑問と思わず、全てを当たり前と受け入れていた。
ただ、祖母だけが私に手を振って、私を見送った事だけが私の胸を強く締め付けた。
また、連れて行ってはくれないのかと、心の奥底から言い放ちたかった。
あぁ、またおばぁちゃんは私を守ってくれたんだなぁと言い聞かせて、私は階段を勢いよく駆け上がる。
気づけば服も乾き、景色も日常の見慣れた場所だった。

目が覚めて、泣いていた。
怖かったのか、嫌だったのか、嬉しかったのか、なんなのか。
この夢を見る前に一度目が覚めていた。声がした。女の人の声。
はっきりと何かを私に言っていた。声の場所は部屋の中だった。
引っ越し仕立ての家で、片付けも進まない家で、仕方なく私のシングルベッドで娘を隣に眠っていた。
夜中の何時かは覚えていない。
女の人は何度も何度も同じことを私に言い続けていた。
身体は、金縛りになっていた。いつもは指先から動かしたらだいたい動くのに、この日はぴくりとも動けなかった。余程疲れが溜まっているのだと言い聞かせた。
金縛りも何度も調べて、脳の錯覚やろ~って思っていても怖い。
15年ほど前、トイレに足を向けて昼寝をしていたら、金縛りにあって、トイレに向かって引きずられていく感覚を体験して以来、金縛りは怖い。
私は霊的なものは見えないし(体験はちらほらあるけれど)幽霊の類はあまり怖くない。
ただ、昔から、霊が見える人、特に守護霊が見える人には口をそろえて言われることがあった。

「おばぁちゃんが守ってくれてて、めっちゃ強い」

と。
一人とか二人じゃなく、占いの館とか、守護霊を専門に見てる占い師の友人とか、守護霊が見えるらしいカップルとか。私は見えへんねんけど。
守護霊の存在については、肯定も否定もって感じではあるけれど、おばぁちゃんが守ってくれていると言われれば悪い気はしない。嬉しい。心強い。

私の家は、数年前から不幸が続いている。
まだ若い身内もいれば、愛猫や、父。そしてこの6月末に父方の祖母が。
この3年で愛猫を含め5人だ。愛猫を覗けば、全て父方だ。
あまりに続きすぎて、それが自分に近づいてきている恐怖心があった。
母から電話が来たら、それは、身内や近しい人・親しい人の訃報じゃないかと、毎回びくびくと怯えていた。
父の死以来、親族間のトラブル…いや、嫌がらせで、私は実家をも失った。
おかげで私は、家族とは?身内とは?親族とは?みたいな事をとても考えた。
親戚が母に文句をつける為に盾にしている宗教も、正しい知識をつけて守らなければと思った。
親戚が母や私たちにする事は、仏様の教えではいったい何になるのかを、真っ向から彼らに問うてやりたいと思った。
それほどに信仰心をというならば、あなた達がとる言動は、それに反していないのかと。
ただ、私は無知で無力だ。
ただ弱っていく母を、矢面に立つ弟を、サポートすることで精いっぱい。

祖母が亡くなってから、私は昔からいつも祖母の所にいきたいと思い続けている。
でも、まるで、そうはさせないとおばぁちゃんが止めているみたいに、その願望が高まった時に限って何かがおきる。
その都度、まだ私はそっちにいったらあかんのやと思わされる。
祖母は強かった。
余命を宣告され「この三日が山です」といわれた所、そこをこえ半年も頑張った。
その間、祖母は恐らく三途の川を渡ろうとしたのだろうか、その光景を話してくれた。

花がいっぱい咲いた川で、川の向こうにばぁさんがね、おいでおいでって言うのよ。
久しぶりにばぁさんに会いたいって思ってんけど、ゆきの声がしたのよ。
目開けたら、ゆきちゃん。来てくれてありがとう。
もうね、いっぱいのお花畑、きれいやったのよ。

って、もうあまり出ない声で話してくれた。
最期、反応のなくなった祖母の手をぎゅっと握って、おばぁちゃんおばぁちゃんと呼び続けたら、その手が強く私の手を握り返した。そして、逝ってしまった。
たくさんのお花に囲まれた川を渡ってしまった。
私の人生において、こんなに辛い日は、他にない。
上手く生きられないと実感する度、おばぁちゃんを思い出す。
そして私は弱いから、すぐにおばぁちゃんの所にいきたがる。
けれど、おばぁちゃんはそれを許さない。
だから、私は色々な人に囲まれて支えられて、わが子に恵まれて、愛鳥に全力の愛を日々贈られているのかなぁと思っている。
私が諦めないように、命を育むように、穏やかさと優しさを失わないように。

あの夢の日、私は、実は連れていかれそうになっていたのかなぁなんて思っていた。
それを、おばぁちゃんが助けてくれたのかなぁなんて。
すごく後出しになるけれど、実はその夢には亡くなった父も少しいてた。
お父さんとおばぁちゃんが私が川渡らんようにしたんかなぁって。
実際に私はとても弱っていた。
身体が異常に疲れやすく、感情が消える事も多く、まるでうつ状態だった。
思考や体が何かに支配されているみたいに、自分のものじゃないなぁと思うぐらい、心身の様子がおかしいと感じていた。実は自分の命の炎が、小さくなっている実感があったから、もしかして、次は私が迎えに来られる番なのかなぁなんて正直感じていた。
そしてその夢を見て、そこからお寺にも行くようになった。
夢の中で金色の仏様も、きっと助けてくれたのだと思ったから。


っという、見た夢と体験のお話でした。
しかし夢って不思議よね!
夢分析とか夢占いとか、無意識やら願望やら抑えつけた気持ちとかが現れるっていう。
私、なかなか面白い夢をたくさん見るからね!
モンハンのラージャンみたいなやつにめっちゃ追いかけられる夢とか
いつも決まった空港から決まったルートでロケットに乗ってどっか行くとか
エレベーターが落ちる夢とか(これはエレベーター恐怖症やからかな)
そのエレベーターも最初はね、よくある雑居ビルのエレベーターとかで、それも「あぁこれは落ちるわ」って思いながら乗る事が多くて、やっぱり落ちるねんけど
もうわかってるから。落ちるの。ちゃんと対策とって乗るから、無事なんよね。
で、最近の夢に出てくるエレベーターは超高層。
それも落ちるからね~。たまに逆で下から上にいくのに止まらなくて建物突っ切って空までいってからの落下パターンもある。
最近の新パターンは、私が乗っていない隣のエレベーターが落下してて「あぁ~おちてもた」って冷静に見てるパターンね!
おかげでリアルエレベーターはわりと乗れるようになってきた。
他にも、俳優さんが亡くなる数日前にね、その人が亡くなる夢とか見たり。
わが子が生まれる前、性別が分からない時に、私と祖母と祖父とお母さんとお父さんとで赤ちゃんを囲んでる夢を見た。
ピンクのおくるみで、「可愛い女の子ね」って、めっちゃ穏やかで幸せな夢。
いつも私の見る夢はフルカラー!!
私視点もあれば、神の視点の時もある。
朝起きたら、寝ぼけた頭で夢占いサイト見るの、ちょっと楽しいやんね。笑
あんまりしないけど、どうしても気になる夢の時はしてまうかも。
もちろんエロい夢を見た時も調べるけど、だいたい欲求不満って予想通りの結果になるよね!笑


おわり!

晴れた日の七夕は。



「今夜は晴れそうでよかったね」

と、もう何年前か記憶にない程前の七夕の日に、キッチンに立つ母が呟いた事があった。
私は、その横でタバコを吸いながら「なんで?」と尋ねた。
そしたら、母は作業をしながら「だって七夕やん」って柔らかな声で答えた。

その母の返事は、私にとってとても意外で、耳を疑うものやった。
だって私にとって母とは、厳しくて、私を縛って、抑えつけて、苦しいぐらいに正しくて、私の逃げ道を全て潰していくような存在で。
そのくせ、私が発する助けて!も、愛して!も、認めて!も受け入れてくれないような冷たさを感じる人に感じていたから。

私が激しいうつ病を患い、なんとかカウンセリングを受けた時
「お母さんとの関係性があなたにとって大きな問題」
だといわれ、それをそのまま母に伝えて、母が泣き叫んだ事があった。
その姿を見て、

あぁ。私はなんてひどい事を言ってしまったんやろうか。

と、罪悪感を覚えた。
目の前で過呼吸になり泣き叫ぶ母から、親不孝者の言葉がにじみ出ている気がしてたまらなかった。
その時、親子という関係の線の束がブチブチブチと音をたてて千切れていっているようで、残りたった数本だけが、なんとか残って私たち親子を繋げているように見えた。
それぐらいに、私と母は追い込まれて、心の行き場を失って、対処も見えずにいた。

それから何年も経って、母と娘、ぶつかり合って、精神の殴り合いをして、責めあって、紡ぎあって、認めあおうと必死に踏ん張って、時に無関心を装って、なんとかプラマイゼロの関係性まで回復できたような気がした。
かろうじて、日常の会話に笑顔があって、笑い声があって、冗談があって、周囲からは仲のいい親子に見られる程度にはなった。
その時の七夕やったなぁ。
だいたい雨や曇りが多い七夕の日。
その年は珍しく晴れの七夕で、実は私はそんな事は微塵も頭になく、この日が七夕ということすら覚えていなかったけれど、そんな私に向かってキッチンに立つ母が言った。

「今夜は晴れそうでよかったね」

だって七夕やからと。

あれ?お母さんってそんな事を言う人やったんや。

と、その瞬間から母に対する見方ががらりと変わった。
お母さんさんも、七夕の日は晴れたら彦星さんと織姫さんが会えるなぁとか思うんやなぁと知って、一気に母は私のお母さんなんかもと思えた。
だって、私の中の母は、七夕なんか「ふーん」で終わらせそうやったから。
一気に音を立てて、母という人の見方が崩れた。
今思うと、私が母を一人の人として認識した瞬間のように思えた。

今年の七夕は晴れた。
嬉しくて、思わず、母にメールを送った。
「晴れたね!」
って。
そしたら「よかったね。嬉しいね!」って帰ってきた。
やっぱり、この人は私のお母さんなんやなって、たまらなく愛しくなった。
だってこんなにロマンチストでおちゃめなんやもん。
そう思うと、急に会いたくなって、声が聴きたくなった。

どうか、いつまでも健康で。
笑顔溢れる楽しい人生を過ごしてください。
お母さんの人生を、お母さんのペースで。


おわり

遠距離恋愛が続くカップルの特徴

こんにちは!
おかめです。
本日のブログは遠距離恋愛について。
私自身、大阪と九州の遠距離恋愛で、2年間の交際の末結婚をしまして
よくタロットの鑑定ついでに話題に上がったり
遠距離恋愛中の方や、遠距離の人を好きになってしまったという方からご相談を受ける事も多く、個人的には身近な話題の一つ。
で、個人的な経験と、色んな人たちの話や相談を通し、遠距離恋愛が続くカップルの特徴なんかをお伝えしようかなと。

◆共通の趣味や楽しめる事がある。
今のご時世、通話も無料でゲームもオンラインで…と、直接会わなくても同じ時間を共有して楽しめる事があるじゃない?
私と彼の場合はモンハンでね、最近はしてないけど交際時はよく二人で「ベヒーモス狩にいこう!!」とか「タイムアタックするよ!!」とか「スキル組んでみた!どう!?」とか言いあってよく遊んでた。
やっぱ、対戦より協力しあうゲームの方が仲間意識が持ちやすいし
同じミッションをこなし達成する事が、例えゲームの中であってもわりと大切に思う。
だから一緒にするゲームは対戦より、協力するゲームが多かった。
電話やボイスチャット繋げながら、連日する事もあれば
たまには深夜遅くまでする事もあれば、ゲーム画面を放置して、通話だけで盛り上がる事もあったり。
子どもっぽい趣味!とか幼稚!とか思われるかもしれないけれど
遠距離恋愛カップルが同じ時間を楽しめるツールなんて多くないから、それが互いの趣味で楽しめるなら全然ありと思う。
ゲームじゃなくても、同時に映画を観るとか、本を読み聞かせしあうとか?私たちはもっぱらゲームなのでちょっと思いつかないけど。笑
今の時代の環境を上手く活用しあって、楽しみを共有できる時間をもつ。
いわば、遠距離恋愛組の一種のデートスタイルよね♪

◆つながっていない時間を楽しめる余裕を持っている
遠距離恋愛に限らずやけど、互いに会っていない・つながっていない時間のの使い方って大切でしょう?
遠距離恋愛はその一人の時間が圧倒的に多いから、その時間をどう使うか。
この時に寂しくて、相手に連絡をたくさん入れてしまって、それが相手の負担になり別れるケースは少なくないやんね。
どれだけ連絡を取り合うか、どの時間帯で主に取り合うのか…とかを話し合って、互いの生活ペース・生活スタイルに負担がないようにしないと、保てなくなる。
例えばいつもは二人でするゲームでも、一人の時は一人のゲームを楽しんでみるとか、友達と遊ぶとか、料理の腕をあげるとかなんでもいいけど。
全ての時間を相手に合わせよう・捧げようとしない事は、恋愛をするうえでとても大切やし、相手の行動が近距離より見えづらい遠距離やからといって、不安に駆られる事を理由に束縛する事はおすすめしない。
束縛をする・ルールを定める事によって、相手が守っているかどうかが気になってしまうからね~。そこに気を取られる事の神経のすり減らせ方は、ネガティブだなと感じるし、恋愛に対していい方向に動くようには思えないなと個人的には。
なので、束縛したり、常に連絡をとりあわないと不安!という状態にならない為にも自分の時間をしっかり楽しめるスキルは必要。
「そんなの無理!」と思っていても、それも割と慣れていく。大丈夫。
時間はかかるかもやけど。大丈夫。
うちの場合は彼がそのパターンで、束縛はしないけど、寂しがりの代表みたいな。笑
だから、最初は連絡を頻繁にとりあう事がしんどい!と感じていたから、それを伝えて、連絡頻度を落とすかわりに、一日の中で連絡を取りあう時間を設けたり(夜の寝る前とか)休みをあわせて一日一緒にゲームに没頭したり。
無理はしないけれど、恋人である彼は何より優先する。
遠いからといって優先度合いを低くはしない。遠いからこそ、優先順位は高くしようと心がけたかな!今も心がけてる!

◆遠くの恋人より近くの異性の言葉に理性をもっていかれない
遠くの恋人より近くの異性 なんて都合のいい言葉が存在するけど、恋愛ではわりとあるあるよね。
遠距離恋愛って、信頼が全てだと思うからね~、互いにいかに不安を与えない関係を築き上げられるか…というのは個人的には重要視をした
相手を試す行為・他の恋愛関係をにおわす言動・相手をいたずらに不安に陥れる言動・突き放す言動とかはね、遠距離においては命取り。別れを選択すると同じよね。
近くなら、今から会って話し合おう!とか、相手の家に行って謝罪!とかできるかもやけど、そういうのできない分、互いの日ごろの誠実さや、大切にされている実感の積み重ねが信頼となる。
信頼しているか否かで、遠距離恋愛がうまくいくかは大きいと思う。
遠距離恋愛で異性関係の不安に駆られないカップルは、信頼の土台がしっかりとしていて、疑うような言動は鼻から起こす気もない事が多いよね。
一度離してしまったら元に戻りにくいって事も、十分理解しているのだと思う。

◆ちゃんと話し合いができる
これも距離関係なく大切な事やけど、互いにちゃんと本音で話し合えるかどうか。
遠距離をしていると、会えない分連絡の頻度は多かったりする。
付き合い始めこそペースなんて考えず、思うまま昂ぶりのままラインなり通話なりで連絡を取りあうことが楽しいのだけど、それも続いていくと負担となる場合も多い。
眠る時もずっと朝まで繋げていたり、休日はずっと繋げていたり、逐一ラインを送ったり。
それを全く負担と思わない人もいたら、それがたまらなく負担という人もいる。
自分の時間を優先させたい人もいれば、なるべく繋がっていたい人もいる。
そういった事もちゃんと話し合いができるかどうか。
「もー重いわ。しんどいから別れよ」とならない為にも、日ごろから連絡の頻度のすり合わせ・歩み寄りは大切。
他にも遠距離は距離がある分将来が少し見えにくかったりする。
それが互いの生活が染みつき根付いている場所なら特に、『将来どうするの?』っていう疑問や不安が待ち受けていたりする。
いずれ結婚や同棲を考えているのかというのも話し合えたらいいけど、遠距離恋愛において、どちらの場所で住むのか問題はとても大きな問題となるため、そういうのも気軽にでも話し合える事は大切に思う。
要は不安要素を遠慮することなくしっかり伝え合える事が重要ということ。
当たり散らしたり、不満を一方的にぶつけるのではなく、会ってフォローしあえないからこそ、表情を見て話し合えないからこそ、言葉で伝え合う。
言葉にしないと考えや気持ちは伝わらないので、しっかりと伝え合う。
『察してほしい』『分かって欲しい』『かまってほしい』すら言葉に・声にすべき。
プライドとか追わせてナンボとか駆け引き要求し出したら遠距離恋愛はもたない。
ひたすらに誤解させたり、不安にさせる要素を潰し与えない事が長続きのポイントの一つに思う。

◆相手を試す行為や簡単に別れを口にしない
これも恋愛あるあるやけど、これほど面倒くさくて、恋愛においてむやみに信用を下げる行為ってないと思う。
これさえしなければ、順調に進む恋愛なのに、波風立てたいとか、刺激が欲しいとか、相手の気持ちを知りたいとかで、相手を試す行為をとったり、ちょっとした口喧嘩や不安要素を消化できず「別れたい」とか口走ったり。
それも全てかまってちゃんでしかない。
相手はエスパーじゃない。言わなきゃ分からないし、気持ちを知りたいならそう問えばいい。好きなら好きと言えばいい。寂しいなら寂しいと、会いたいなら会いたいと、あの時の言動に傷ついたら「あの時傷ついたのよ。実は」と。
遠距離恋愛はすぐに会って対処ができない。耐えたり、ため込んだりして爆発させても、会ってないとそれを直接なだめる事も、抱きしめる事も、本気で言ってるのか、それとも冗談っぽくすねた表情で言ってるのかの判断も、つくはずがない。
ちゃんと、感情の処理をその場その場で解決をして、できるだけハッピーな状態でいた方がいい。
相手を試したり、寂しいから、ちょっと不安やからと相手に何も伝えていないのに、相手の言動を知りたいがために自分の一方的な判断で「別れたい」「別れよう」と伝える事の危険性。結局、また寂しくなったらいうんやろうなって相手に思わせてしまう事になる危険性。
信頼を一気になくす。たとえ別れなかったとしても、言う前の状態には、たぶん戻れないし回復したとしても時間を要する。
そりゃ、そんな事言わない人の方がいいに決まってる。

◆性処理にある程度の許容と理解を。
遠距離カップルにあるあるの一つ。エッチができない問題。
まぁ、距離が離れてるからね!笑
離れてるからって性欲が劣るとかはなく、でもエッチができるわけでなく。
近いところに住んでいたら、一週間に数回会って、その時に抱き合えるけど
遠距離組は距離にもよるけど会えても一か月に一回…会えない時は半年とかそれ以上とか。
その間、まさか「じゃぁオナ禁ね~」なんてうっかり言えない。言っちゃいけない。笑
AVにヤキモチ妬いちゃうのは女の子あるあると思うのですが、エッチに変わる性処理、いえば一人エッチのある程度の許容は仕方がないのかなと思う。
黙ってやってたら問題はないのだろうけど、AV見られるのは嫌!風俗いかれるのは嫌!一人でされるのも嫌!となると、数か月も会えない間の性処理はどうしたらいいのか。そこをじっくり二人で話し合う必要が出てくると思う。
エッチな事は恋人同士の特権であり幸せな時間の一つやから、会えない時間は、色んなツールを使いつつ、遠距離組ならではの楽しみを見つけるのもありと思う。

と、思いついたことをざっと。
やっぱり何を言ってもまずは信頼関係なんですよね。
それって数日で築けるものではなく、日々の積み重ねやけど
お互いがしっかり相手の生活やスタイルを尊重して、歩み寄って、トラブルの時は放置せず話し合って解決する姿勢で向かい合う事がやっぱり大切よね。
距離問わず。
遠距離やとなおさらって感じで。
遠距離恋愛には不安要素もあるけれど、良い事も幸せな事も多くあるし
日本国内ならお金さえあればわりとすぐに会いに行けるし、離島とかでない限り、会いに行く手段も色々とあるからね。
やっと会える日、駅や空港まで迎えに行って、新幹線や飛行機が到着するまでの間のわくわくそわそわ感や、姿が見えた時の嬉しさや、やっと触れられた時の喜びは、遠距離ならではだなと私は感じた。
限りある時間の中でどれだけ楽しめるか全力やし、行きたい場所も一緒に食べたいものもリストにあげればきりがなくて消化できない事も多いけど、会ってる時間はずっと濃厚。セックスも濃厚。それもまた、たまにしか会えない遠距離恋愛の良いところ。
別れ際の寂しさも、おもっきり駄々をこねてしまいたくなりそうな気持ちを押し殺しながら見送る瞬間も、ちょっと泣いちゃうことも、別れ際のハグで愛しいなぁ離れたくないなぁと思う気持ちも、相手が行ってしまって一人になった瞬間の楽しかった想いと寂しい思いが乱れる感情も遠距離ならでは。
会った瞬間と別れの瞬間は、何回繰り返しても印象的で、まさに遠距離恋愛を象徴する時間に思う。

SNSやオンラインゲームで繋がる事も多くなってきた今の時代は
遠くに住む人との交流も少なくはないし、そこから一生モノの友人と出会ったり
一生を添い遂げる人と出会ったり、うーんと出会いの幅が広がったと思う。
でも、遠距離になるから…遠いから…を理由に出会いをあきらめるのはもったいないなーと私は感じるね。
良い事ばかりでもないし、辛いこともあるけれど、幸せも多い。
私は彼と遠距離恋愛ができてよかったと思う。
そして遠距離恋愛をした二年ほど、一度も彼を疑ったこともなかったし不安にもならなかった。
私も一度も他の男に興味をもったこともなかった。
ただただ、会える日が待ち遠しくて、楽しみで、その時に何をしよう?何を食べよう?どこ行こう?ばっかり考えていた。
もちろん喧嘩もあったし、険悪な雰囲気になる事もあるけど、それが原因で別れるかなって不安も持ち合わせてなかったし
例え喧嘩の最中だろうが、会える日を指折り数えたし、一緒に行きたい場所も体験したい事も、一緒に食べたいものも、したいセックスプレイもリスト化すればキリがないほど。

タロットでは遠距離の恋人を持つ人の不安を聞く事って実はあまりなかった。
たまたま、上手くいってる人たちばかりやったのかもやけど。
恋愛の話をして遠距離なんですよって話題になった時
「来週会うんですけど、◎◎に行こうと思っていて」とか
「彼の誕生日に◎◎を贈ろうと思ってるんです」とか
聞いてるだけでニヤニヤしてしまうような話が多かった。
彼女たちが、その時すごくわくわくとして、ときめいて、遠くに住む彼を毎日思いながらデートプランや贈り物を考えている事実が、尊いよね。彼に密告したいぐらい。可愛すぎるんですよ彼女さんって。笑
遠くの彼もまた、この彼女と同じ気持ちであったらいいなぁと思いながら。
そして、そんな彼女たちの話を聞きながら、私も無性に自分の彼の声が聞きたくなったり、何かを贈りたくなったりする。
突然の贈り物や、突然の手紙や、ラインで送る街の風景の写真や、食べた物の写真や、その日感じた事すらも、重要なコミュニケーションなのよね~。

そう、遠距離恋愛のもう一つの魅力は、遠距離だからこそ違う文化に触れられて知れること!
相手と出会わなければ、付き合わなければ知る事もなかったであろう、その地域の文化や食に触れられる事。
観光レベルではなく、彼の生活が根付く、地元民レベルで触れられる地域の事柄は、魅力的で楽しい。
食べ物、お祭り、観光地、商店街、B級グルメ、ローカルスーパー、ラブホテル、憩いの場、お土産品に地元民ならではの調味料や家庭料理とかね!
そこに自分自身が相手と一緒に溶け込めたら、どれだけ素敵だろうと想いを馳せるのも、また魅力の一つ。
反対に、自分の住む地域に、彼が馴染んでくれれば好きになってくれれば、もっとこの街が楽しくなるなぁとうきうきするのも良し。
ネガティブに思われがちな遠距離恋愛やけど、いいこともたくさん。
遠距離に好きな人がいる人は、ぜひ、一歩踏み出してみてね!



終わり